◇はじめに
この話題は《超常現象を懐疑的に調査する団体ASIOS》が管理するウェブログ《ASIOSブログ》に掲載された〈地震雲による予知の検証〉と題する記事内容に筆者(Teru
Sun)が疑問を抱き、コメント欄で執筆者ASIOS会長・本城
達也[敬称略]と数ヶ月間に渡り対話して来た中で内容に対する問題点に気づきその点を明らかにするために文章を起こしたことが切っ掛けです。
◇本城コラムの問題点
本城コラムの内容に「論理の飛躍」があること「読み手が錯誤を起こす表現手法」が使われている点。その事に本城自身が気づいていない点です。
気づいた筆者が「結論だけ合っていればいいのか?」「印象で書かれた文章です」と指摘するも、本城の認識では指摘されるような間違いや錯誤を招くような表現はないとし「終わった話」の一点張りで否定をしています。
その点の相互理解をうながそうと筆者が対話を続けようとしましたが、そちらも拒否。誠実にメールを送るも無視をするという大人げない逃げの姿勢でした。懐疑論者を自負するアマプロ(金銭が絡む活動を行なっている)のコラムニストとしての態度としては頂けません。
◇問題点1:論理の飛躍
「論理の飛躍」とは科学的・論理的な文章を書く際に気をつけて書かなければ、書き手が論理的に書いたと思っている文章も読み手には「印象でしか伝わらない内容」になってしうもののこととされています。
《参考:結論に賛成だと批判的思考力が麻痺する(論理飛躍)》
問題点が含まれている文面は本城コラムの以下になります。
しかし、ここでひとつ疑問が浮かびます。震度4やM4.5以上の地震というのは、どれくらい珍しいものなのでしょうか? そこで昨年1年間に茨城県で起きた震度4の地震回数を調べてみました。結果は21回です。月平均では毎月約2回ほど震度4の地震が起きていることになります。
今回の予知では期間が約2週間もありました。もともと毎月のように震度4やM4.5以上の地震が起きている地域なのですから、当たった予知というのも、実はそれほど珍しいことを当てたわけではないということがわかります。
記事にあった「10年は35回中30回、11年は54回中46回と高い的中率を誇っている」というのも、こういった実は珍しくない地震を含んでいるからなのかもしれません。
――ASIOSブログ〈地震雲による予知の検証〉より
上記に抜粋したコラムの赤文字部分を検討してゆきます。
どれくらい珍しいものなのでしょうか?
月平均では毎月約2回ほど
毎月のように〈中略〉地震が起きている地域〈中略〉、当たった予知というのも、実はそれほど珍しいことを当てたわけではないということがわかります。
こういった実は珍しくない地震を含んでいるから
――ASIOSブログ〈地震雲による予知の検証〉より
抜粋した赤文字部分を考えてみてください。
「どれくらい珍しいものなのでしょう?」のあと「月平均では毎月約2回ほど」と書いています。そして「実はそれほど珍しいことを当てたわけではないことがわかります」と続け「こういった実は珍しくない地震を含んでいる」と結論づけています。
「論理の飛躍」があることに気づいたでしょうか?
「珍しくない地震」とは何を指しているのでしょうか?
・月平均約2回の地震 ⇒
珍しくない?
本城は毎月約2回起こる地震を「珍しくない」と思い込みで決めつけてしまっています。月平均約2回という数字が前提も仮定もなく“珍しくない”とは言えません。珍しい場合も考えられるからです。決めつけは論理的ではなく非論理的な書き手の思い込みで書かれた“印象”でしかありません。
・月平均約2回の地震 ⇒
なぜ“珍しくない”のかが書かれていない。
論理の飛躍を避けるには「なぜ珍しくないか」の根拠となる考え方を示さなくてはいけません。そこまで厳密にしなければいけない理由は「珍しい・珍しくない」などの感情は、人が感じる印象で異なってくるからです。
人によって内面で感じる印象は異なります。たとえば「1時間を長いと感じるか短いと感じるか」と同じように「1週間に1回の地震を珍しい」と感じる人もいます。内面で感じる尺度は人それぞれ異なります。
インテグラル理論の思想家ケン ウィルバー[Wikipwdia]は、このような“人それぞれが持つ認識のズレ”を理解するために「私の内面」「私の外面」を考える事を提案しています。もっと厳密にはインテグラル理論の四象限で考えるのですが。
「脳波」は「私の外面」に当たります。
脳波は私の一部ですが機器を通して視覚を持つ人たちが見る事が可能です。
「思考」は「私の内面」に当たります。
主義・主張は文章化したりしなければ誰にも理解する事ができないものです。
「私の内面」は外面に表現しなければ伝わりません。
上記のような考え方も念頭に置きながら考察すると個人の思い込みで「珍しい・珍しくない」という決めつける事は論理的はないという事が分かりました。論理的といわれるものは「私たちの多くが可能な限り納得できる表現を持ちいた」文章の在り方だからです。
今回のケースで論理的文章を書く際に“論理の飛躍”を防ぐには
前提・仮定を書かなければならないでしょう。
たとえば「30日(一ヶ月)に5回は珍しくないと考える」など前提・仮定を宣言する事です。そのような個人的な前提をあげることで、その個人がどの程度を“珍しい”と感じるのか読み手は理解する事が出来ます。これは「私の内面」尺度を「私たち」におおやけにする行為に当たります。
本城のコラムでは、この前提・仮定を宣言していません。
数値だけ示した文章を「論理的」と考え違いしてしまう人もいるかもしれませんが、何の前提・仮定もなされない「数値は数字に過ぎず何の意味も持たない文字列になる」ことを覚えておきましょう。
読み手(多くの読者)に誤解なく理解してもらう論理的な文章を書くためには、現代では「科学的な前提・仮定」を宣言する事が適当です。
科学では「ある前提・仮定(仮説)を立てたうえで物事を考える」事をします。たとえば「20回に1回起こる事(0.05=5%)を下回った場合を“珍しい”と考える」と仮定して論文などが書かれています。ここで注意しなければいけないのは「この尺度は科学界のなかだけで合意された仮定」だという点です。上述した“珍しい”と仮定することを、確率・統計学では“有意”というそうです。
《参考:有意水準5%で有意ってどういうことですか?》
確率・統計学は高校では専門的に学びません。大学でも専門的な学問ですから知る人も多くはありません。試しに確率・統計学の仮定を知らないご両親や伴侶に、こんな話を試しに話してみて下さい、「21回に1回起こる事(0.0467=4.67%)は珍しいんだよ」と。
おそらくは「何言ってるの?」「なんで?」と返されることでしょう。科学界の前提・仮定を知らなければ、そのように返答してしまうと予想できるわけです。ですから、上記の仮定は「統計学的な仮定で考えると…」という前置きが必要になります。
しかし、この統計学の仮定をあげても論理の飛躍になってしまう事があります。
例として本城コラムを真似て書いた文章をあげますので、それを読んでみて下さい。
ここでは「珍しい・珍しくない」かに焦点を当てた思考実験をしています。
文章は筆者が本城に向けて送ったメールに書いたものと同一のものです。
Aさんは昨年1年間に21回、中型サイズのケーキを妻のお土産に買って帰宅することがありました。月平均では毎月2回弱ほどケーキを購入して帰宅していることになります。(大型のケーキを入れれば25回)
今回の期間では約2週間ありました。もともと毎月のように中型ケーキや大型ケーキを購入しているわけですから、Aさんがケーキを買って帰るというのも、実はそれほど珍しいことではないことがわかります。
読み比べてわかると思いますが、本城のコラムに少し手を加えた“印象”で書かれた“論理の飛躍”がふくまれた文章です。
・Aさんがケーキをお土産に帰宅するのは「珍しいか・珍しくないか」?
1年間(=365日)に21回(=21日)、ケーキを購入して帰宅する日は、統計では0.0575(=5.75%)となり、5%を上回って「珍しくない」かもしれないと科学では判断を下せます。
しかし社会科学の仮定では「珍しい」事になる場合もあるのです。
Aさんの行動を科学ではなく社会科学で考えると
社会科学では「0.1=10%」を“珍しい(有意)”とする仮定を使っています。
したがって、Aさんが1年間に21回ケーキを購入して帰宅する事も、25回(=0.068)のときも共に「珍しい」かもしれないと結論を出すことができます。
本城のコラムを考えてみましょう。彼のコラムには仮定がなく論理の飛躍が述べられています。何をもとに書かれたのかが定かではなく「本城自身の印象」で書かれた内容にしかなっていません。
◇問題点2:心理的錯誤の誘発
人間はささいな文章表現で“いとも簡単に間違い(錯誤)を起こす”事が心理学の分野で知られています。心理学者ダニエル カーネマン[Wikipedia]の著書から抜粋して、この心理的錯誤の誘発例を紹介しておきたいと思います。
リスクの伝え方次第で受け止め方に大きな差が出る理由も、分母の無視で説明できる。致死性の伝染病から子供を守るワクチンについて「永久麻痺のリスクが0.001%ある」という文章を呼んだとき、あなたはきっと、リスクは小さいと感じるだろう。では同じワクチンについて「接種した子供の10万人に1人は永久麻痺になる恐れがある」という文章ならどうだろうか。この場合、最初の文章では起きなかった何かがあなたの頭の中で起きる。ワクチン接種によって生涯麻痺の残った子供のイメージが浮かび上がるのである。そして、無事だった9万9999人は霞んでしまう。
本城コラムでは、この心理的錯誤を利用した表現が使われています。
慎重に読まないと気づかない人もいるかもしれませんので抜粋します。
昨年1年間に茨城県で起きた震度4の地震回数を調べてみました。結果は21回です。月平均では毎月約2回ほど
――ASIOSブログ〈地震雲による予知の検証〉より
このどこが“心理的錯誤の誘発”なのか気づかない人もいるでしょう。
昨年1年間(=365日)に21回(ちなみに日数単位で書いていない)地震があったと書いています。計算では厳密に割り切れる「月平均は1.75回」となります。本城コラムでは、この数値を「毎月約2回ほど」または書きなおして「毎月約2回弱」と表現しています。
「割合的には“1.75回”も“約2回ほど”も同じ」と“一般には”考えられていますが、懐疑論者や本城も推薦する心理学者リチャード ワイズマンも知っているであろう心理学的な観点から見た場合、読者への認知的な錯誤の影響は“同じとは言えない”と考えられるのです。本城はASIOSブログで心理学者ワイズマン著書『超常現象の科学』を推薦していたので知っていると思っていたので残念な事です。
この心理的錯誤の誘発を「割合錯誤・比率バイアス(Ratio
Bias)」といいます。同じ意味で心理学者ポール
スロヴィック [Wikipedia]は「分母の無視(denominator
neglect)」と呼んでいます。
上記の場合、本城の使用した表現は「小数点以下を繰り上げた表記だけをした」事から読者に割合錯誤を誘発させる因子になると考えられます。
正しい文章表現をするならば「毎月1.75回,約2回ほど」と
するのが厳密に心理的な錯誤誘発を抑制したスマートな表現だと考えられます。
◇本城コラムの考察
今回の件で感じた事は、本城達也の「全能感を保持したいという強い自尊感情」が、他者(Teru
Sun)からの批判や指摘を受け入れられない心理的な壁になっていると考えられます。本城自身は自身の文章に間違いや錯誤を誘発する点はないと一点張りの主張をしていますが、このようにまとめると考察してみると論理的な穴が存在しました。特にASIOSブログのようなところでは上記のような事に気づける読者が少ない事でしょう。
ブログの管理者で会長という立場上、本人が否定しても一般的な認識では「権威となっている本城」に楯突くようなコメントをする事はASIOSファンであれば、なかなか行えません。
私が実際に本城から行われた仕打ち(メールの「無視」「ネット上だけの建前の空コメント」を返すだけの行動)は、ASIOSを愛する読者は避けたいと考えるでしょう。そういった熱心なASIOSファンは、まず本城に当たり障りのないコメントしか書かなくなります。すると”裸の王様”ならぬ“裸の会長”が出来上がってしまいます。地震前兆サイトなどを参考にすれば、もっと厳密な方法で精査する事もできたかもしれません。とても残念なことでした。
おまけ:ASIOSブログで遭遇した差別主義者
以下、本城が記事元としたネタリカの記事
地震雲の第一人者が、首都圏震度6の大地震を警告している――。
政府の地震調査委員会は11日、今年1月1日を基準に、日本周辺で起きる地震の発生確率を計算した結果を発表した。それによると、東南海地震の今後30年以内の発生確率は、昨年の70%程度から「70〜80%」に上昇。関東大震災と同タイプの地震も確率がアップした。10日には、気象庁が昨年1年間の有感地震が3139回と発表している。3・11以前の約1.8倍。緊張状態は続いているし、不気味な予測も出た。
3・11直前の三陸沖地震を的中させた北陸地震雲予知研究観測所の上出孝之所長が「5日の正午から午後4時に灰色の大きな帯状の地震雲を観測しました。1月10日から7日以内(+2日)に東北(岩手、宮城、福島)でM6.5(±0.5)、震度5〜6の地震が起きる可能性がある」と予告しているのだ。
上出氏によると、地震雲は、「地震が起こる前に岩板に強い力が加わり、電磁気が発生することで、プラスイオンが電磁気とともに上昇し、水蒸気に影響を及ぼしてできる」という。30年以上の継続観測の結果、10年は35回中30回、11年は54回中46回と高い的中率を誇っているだけに気になる。「8日の午前11時30分〜午後4時に白い帯状の地震雲が発生している。このことから1月10日から11日以内(+2日)、東北から関東(福島、茨城、千葉)でM6(±0.5)、震度5〜6の地震が発生する恐れがある。同日の午後3〜4時にも、別の白い帯状の地震雲が出ていて、1月10日から11日以内(+2日)、関東(茨城、千葉、神奈川)でM5(±0.5)、震度4の地震が起きるかもしれない」と見通した。
用心に越したことはない。